曹洞宗
光輝山 龍見寺
Temple of Japan
曹洞宗 光輝山 龍見寺の歴史
the past history of ryu-kenji
歴史
龍見寺は、曹洞宗に属する。正式には(山号)光輝山・龍見寺本山は、永平寺(福井県)及び総持寺(横浜市)。
本尊は、一佛両祖と称し、真中にお釈迦様、両側に永平寺開山の道元禅師と総持寺開山の瑩山禅師を祭る。現在、住職は、野上浩達(第25世)、東堂(前住職)は、野上良仁、檀信徒護寺会が組織され、役員は15名、寺の護持に努めている。
景観は、周囲が宅地開発がすすむなかで、龍見寺周辺だけが緑の風に包まれた感じである。本堂の坂を上って大日堂、天神堂、不動堂、山王様 。大日堂の正面階段を下りると、亀の池、湯殿川の水源とされる。真中の島には弁天祠、池の中には、白い蛇も、泥の中にはうなぎの親子もいる。周囲には、地蔵様が数体あり、その先には、龍見寺の境界を示す大きな七つ石がある。
更に、平成4年から9年にかけて、客殿裏の植栽配石等、亀の池周辺の景観の見直し等、日本を代表する造園作家・星進先生設計により、行われた。造園実務は、自然を生かすことに同調する檀家の植木屋伊三部氏により行われた。寺全体の雰囲気もレベルアップし、保育園を取り巻く環境としても、素晴らしくなった。
平成24年度には、寄付により、寺の前の土地が大駐車場になった。
龍見寺 第25世 住職 野上 浩逹
宗派について
はじめに
お釈迦様のおしえが、仏教として、紀元前400年頃にはじまり、インドから達磨様により中国へ伝わり、日本に伝わった。9世紀のころ、禅宗の一派、唐の洞山良介和尚と、その弟子曹山本寂和尚の門流が、曹洞宗のはじまりである。
1227年道元禅師により日本にもたらされ、永平寺の開祖となる。永平寺4世の螢山禅師により、地方の武家農民にも広がり、総持寺の開祖となる。
教え(宗旨)
お釈迦様の教えを基にする。すべて坐禅によるさとり(正法)が根本である。身も心も坐禅。そこからの「おさとり」が佛教の正門である。
伝わり方
「さとり」の内容を、代々の祖師方が、「一つの器の水を、そのまま次の器に移すように」伝えられた。正伝である。
いろいろ
1仏両祖(お釈迦様と道元禅師・瑩山禅師)。両本山(福井県の永平寺、横浜鶴見の総持寺)。日本仏教の宗派で檀信徒が最も多い。掃除も食事も坐禅が基本。本堂は白足袋も汚れない。食器を洗った水も飲む。お経のほかに、梅花流詠讃歌という、歌うようなご詠歌が盛んである。